はじめまして、ぽんです。
この記事では、
大学卒業後、新卒で食品メーカーに入社して14年間勤務した会社員が、適応障害になり「私の人生、まじで大丈夫か?このままで家族を守りきれるんか?」と悩んだ末に退職、
人生を本気で変えたいと思ってネットビジネスでブログに出会い、外注化と組み合わせたら見える世界が大きく変わった。
そして月収200万円稼ぐ女性起業家と出会ったことでさらに収益が伸び、大切にしたい家族との時間が増えて、自分の人生が充実していくぽんのお話です。
ここでは自己紹介も兼ねて、どこにでもいるような会社員の主婦がなぜ本業以外で稼げるようになったのか?というお話をしていきます。
お話をする前に、私がどんな人間かざっくりお伝えします。
- 今はブログ記事を1記事も書かずに安定して月5万円以上を作り、情報発信を組み合わせて最高月収27万円を達成(今月も20万円を達成)
- 20代で月収200万円以上稼ぐ女性起業家と出会い、私の価値観が全て崩壊する
- 週7暇と言いながら30億円以上稼ぐ方とたまに談笑している
- ビジネス経験が全くない会社員や主婦の方々にネットビジネスを教えている
- 休日は家族と一緒に川沿いをサイクリングしたり、契約した畑で野菜を栽培しておいしい食事を楽しんでいる
- ネットビジネスで得た収益で子どもたちが「○○をしたい」と言った習い事や「△△に行きたい」と言ったレジャー施設に自由に連れて行ってあげる
といった日々を今では送っています。
一方で過去の私はどんな人間だったかといいますと、
- 14年勤めてきた会社で結果を出すも全くといっていいほど評価されず適応障害になる
- 家族より仕事を優先してしまい夫から見捨てられそうになる
- 子どもが熱を出して辛そうにしているのに「ごめんね。」とだけ言って仕事を選ぶダメな母親
- 安月給にも関わらず「長く働くことが安定」と勘違いをしていたサラリーマン
- 仕事中、保育園から子どもの発熱でお迎えの連絡があってもすぐに帰れず、病気がちな母親にお迎えを頼んでまで仕事を優先していた仕事第一人間
という感じで、過去の私は家族よりもとにかく仕事中心に1日が回っているようなとてつもなく残念な母親でした。
ですが今では冒頭でお話したように、家族との時間を大切にしながらも、刺激的な毎日を送って成長できる人生を過ごしています。
このブログで伝えたいことは、「一度きりの人生。自分自身や家族など守るべきものを守りながら、自分の人生を充実させること」です。
親、友人、上司など周りの意見をハイハイと全て受け入れなくていいんです。
自分の人生だからこそ、 1日、1時間、1分でも時間を大切にしてほしい。
家族との過ごす時間、自分と向き合う時間など、有限だからこそ使い方を上手にしてほしいと心から思っています。
私は自分が選んだ選択肢について、今まで両親や部活の顧問、先輩などに批判されて傷つき、悔しい思いを何度もしてきました。
ですがどのような選択肢を選んだとしても私の人生。周りの意見なんて気にする必要なんで全くなかったんです。
自分が挑戦したいことは積極的にすればいいのです。
挑戦するからこそ成長でき、心に余裕が生まれ自分や家族など守りたいものが見えてきます。
守りたいものがある人は本当に強いです。なぜなら「守りたい」という強い信念があると人は成長できるから。
昔の私は家族よりも仕事を優先するような残念な母親でした。
ですが家族と真剣に向き合ったからこそ、守りたい思いが強くなりネットビジネスに挑戦できました。
あなたの守りたいものを明確にして、一度きり自分の人生を思う存分楽しんでほしい。
過去の私に想いを込めて伝えたいという意味も込めたコンセプトになっています。
それでは私の話を始めます。
このお話では
- なぜ会社員として長く働いていたのに新たにネットビジネスを始めたのか
- どのようにしてぽんの人生が変わったのか
をお伝えします。
目次、表示、非表示
私達が生きる上で大事な食文化に携わりたい!→現実は安月給&評価なし&業務量増
結論からいうと、私がビジネスを始めようと思ったきっかけは仕事が安月給な割に業務量増で精神的にも身体的にもすごく辛かったからです。
前職は食品メーカーでマーケティング部に所属し、新商品開発や企画などを考案、世の中にでるまでの仕事をしていました。
私は入社後、転職せず同じ会社でずっと働いていたので退職するときには14年も在籍していました。
”自分が考えた企画や新商品でお客様が喜んでいる姿を一目みたい!そしてやりがいを感じたい!”
入社時はこのような思いとやる気に満ちあふれてワクワクして社会人デビューしました。
自分の考案商品が大ヒット!しかし評価に全く反映されず怒りと悔しさで呆然
頭を振り絞ってひねりだした新商品案が会議で承認され、試作に進み、発売に至るにはほんの一握りです。
世の中にモノが溢れている今、一生懸命時間をかけて発売した商品がヒットするのは本当に厳しかったです。
そんな中、私の発案した商品がまさかのヒット商品になったのです!
「コンビニの○○に導入されたよ!」
「毎月売上がすごくて製造現場の生産が追いついてないよ!」
と嬉しい声をたくさん頂いてお客様からも
「おいしくてケース買いしました!」
「売り切れてどこにも売ってないんですがどこにありますか?」
とファンレターや問い合わせも多く、発案した私としてはやりがいとともに、胸から熱い気持ちがこみ上げてきてすごく嬉しかったです。
“私が考えた商品がお客様に手にとってすごく喜んでくれてる!”
“毎日のおやつのお供として持ち歩いてくれている!”
”わぁ〜お客様が喜んでくれてるってこんなにも嬉しいんだ!やりがいってこんな気持なんだ!”
入社当初、夢見ていたこと、目標としていたことが叶った瞬間でした。
そして期首初め全社員が集まる、全体会議では名前を呼ばれ、売れた商品を発案し会社や社会に貢献したとして表彰されました。
その時は、”やったやん!私!偉いぞ!”と自分自身を心から褒めまくりました。
”ずっと評価されず平社員レベルだった私が、こうしてみんなの前で認められた!”
承認欲求がとてつもなく満たされた気分でした。
”これから役職はもちろん、給与やステージも上がるだろうし、ますますチームを引っ張らないと!”とさらにやる気は上昇傾向でした。
ですが評価されたのはこの一瞬だけで、感謝金の一時金をけ取ったのみ。
その額も「え?たったこれだけ?」と思うほど拍子抜けしてしまい、給与や役職も上がることは一切ありませんでした。
つまり私は平社員のままだったのです。
その時は
“当時育休明けだったから仕事始めたばかりだし仕方ない、私は発案しかしてないからこれくらいなんだわ”
と自分に言い聞かせていました。
でもどこか私の中では
“毎日毎日頭を悩ませて脳みそを絞りきって出した新商品案が売れて、会社、社会に貢献しているのに、一瞬しか評価されへんの!?”
“一体どれだけ結果だせば評価されて給料が上がるの!?”
“あああああああ!めちゃくちゃ悔しい!“
自分が出した商品が売れたことに対して私はもちろん素直に嬉しかったですが、それよりも会社へ貢献しても自分への評価や給料へのリターンがほぼ無いことを痛感しました。
このあとにも担当商品が発売され、売上が予想以上に伸びたものもありましたが、期間限定というのもあり、評価としてはノーカウント。
“発売商品としては同じなのにどういうこと?訳がわからない…”
という気持ちででいっぱいでした。
“評価基準がいい加減すぎる。。”
“新商品をとにかく出せ出せと会社が言うのに、発売して売れても評価されないのであれば、私はなんのために頑張るの?”
と、私の中では悔しさがふつふつと積み重なって噴火寸前でした。
給与は手取りでみるとパートでがっつり働いている方と変わらないほど、安月給な会社。
収入を伸ばそうと思って、頭をひねり出して売れる商品を出しても評価されず、給与に反映されないことがわかった瞬間、絶望感でいっぱいでした。
“こんなところで頑張ったって何になるの?”
とまで思うような時もありました。
そして年度初めに私にとって衝撃が起きました。勤務年数が私より長い先輩が昇格したのです。
この先輩は、作業スピードが遅くてスケジュールは遅れがち、新商品も売れたものはなし、後輩に面倒な仕事を押し付けまくるとにかくワガママな人です。
しかもこの先輩の他部署の同期の先輩方も同じ時期に一斉に役職が上がったのです。
それを見た私は
“何この会社…。成果だした人よりも年功序列が優先された会社なんだ…やってらんない!”
“頑張れば頑張るだけ会社にとって都合良い人として扱われるだけじゃん。”
と頭の上からガツンと植木鉢を落とされたようなショックでさらに会社への絶望感が大きくなりました。
この瞬間から私は、会社や仕事への「やりがい」という想いを全く感じなくなり、仕事を心から楽しいと思わなくなりました。
さらには
“別の収入の柱を作らないとこのままでは家族を養えない”
と思うようになりました。
育児と仕事の両立の難しさを痛感して副業を始める&ブログに出会う
私は前職で14年も勤めていましたが、14年のうち半分以上は育児と仕事との両立しながらでした。
これが本当に辛いしきつい…
私の中で本当に辛かったのは「体調を崩している子供を置いて仕事にいく辛さ」でした。
今でこそ成長して大きくなり発熱など体調は崩しにくくなりましたが、復帰した当時、子供は1歳。
下の子を妊娠して出産し、復帰したときも1歳でした。
“発熱してぐったりしている子どもがいるのに、看病で休みすぎてしまい有休がなくなり、仕事どうしよう・・・”
と頭の中では看病よりも仕事でいっぱいでした。
“あ〜あの仕事の締めきりが今日中だった。誰かに頼まないと・・・。他の人の負担になってしまいマジで申し訳ない。”
“同じチームの○○さんのチェックがまだフィードバックできていない、あれも今日中だったはず・・”
休んだ日にする予定だった業務内容を出勤した人へ引き継いでお願いする申し訳なさが、子どもの看病よりも勝ってしまうことが度々ありました。
おまけに下の子は「熱性けいれん」をもっており、発熱すると必ずひきつけを起こしていました。
そのたびに救急車に運ばれる始末。
発熱したあと、目が白目を向き、人間とは思えないほどのけいれんを起こす娘。
その症状がおさまるまで、ただただ見守ることしが出来ない夫と私。
初めて見たときは頭が真っ白になり、子どもの名前を呼び続け、「大丈夫?大丈夫!?」と繰り返し声をかけては涙目でけいれんがおさまるのを待つしかできませんでした。
“あああ・・・できるなら本当に変わってあげたい。”
”こんな熱に弱い子に生まれてしまって、ホントごめんね。。”
熱をだしてグッタりしている娘に謝るしかありませんでした。
発熱が起きる度にけいれんを起こすのではないかと、夫と私は常に不安と隣り合わせで眠れなくなりました。
子どもが心配で心配でどうしようもないときでも、私の頭の隅には必ず「仕事」が残っていました。
本当に私は仕事人間だったので、こんな娘を持ちながらも仕事のことは常にどこかで考えていました。
そして持病を持って体調を崩しがちな母親に預けて仕事にいくことが非常に多かったです。
「ごめん!お母さん!今日仕事で大事な会議があるから休めなくてお願いできる?」
今思えば”この言葉を何回使っただろう?”って思います。
病弱なのに母の返事は必ず「いいよ」でした。
私がどれだけ忙しくしていても、色々な形で支えてくれたのは母です。
母は私達家族全員を愛してくれ、子どもたちも母を見つけては「ばーばぁ〜!」遠いところから叫んで抱きつきに行ってました。
家族全員、母にはとても感謝していましたし、私は母のことが本当に誰よりも大好きでした。
そんな母ですが子どもを預けたあとは、当たり前のように必ず体調を崩してました。
免疫が低下していた母が苦しむ状態を見て初めて私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになってたのです。
“ああ・・・仕事よりも家族を優先して看病してあげたい。“
“このままだとお母さんも看てあげられないよ・・・“
とここでようやく事の重要さに私は気づきました。
仕事への不満と共に、家族をもっと守りたいという気持ちが心の中でブワッと溢れてしまったのです。
そこで私が必死になってネットで探しまくって出会ったのが副業であり「ブログ」でした。
ブログに出会ったきっかけは外注ライターとしての仕事でした
仕事での評価の不公平さ、家族に対する優先順位の低さから「このままでは本当にやばい」と本気で思って副業に関する情報を必死で探しました。
『副業 おすすめ』
『在宅 スキマ時間』
『副業 資格 不要』
など、片っ端から調べてました。
”とにかく今すぐ始めたいから資格がなくてもスキルアップして稼げるものはないかな…”
と、とにかく探して出会ったのがWEBライターの案件でした。
“まずは経験を積もう。勉強することから始めよう。”
そして副業をスタートさせました。
このときの私は
”うおおおおおおお!!!書けかけ書け〜〜!!”
”期日が迫ってる!とにかく納品するんだ!!頑張れ!私!”
こういう気持ちで仕事以外はずっとパソコンに座って作業をしたり、通勤中はスマホで記事を書いたりしていました。
ひどいときは家事をすっぽかし、子どもたちに話しかけられても「ちょっと待ってて!お母さん、今集中してるから」と伝えて1時間以上待たせてしまうことも・・・
夫「ねえ。集中しているお母さんの邪魔しちゃいけないと思って子どもたちはずっと待ってるよ。俺も君が作業している間、風呂掃除や洗濯に家事をしたからね。」
夫「家族の時間を削ってしまっているの、わかっている?」
と夫から言われたことに、私の身体にはガツンと衝撃が走りました。
“本来の目的は家族との時間を増やすためだったはず。。。”
私が記事を執筆している間、夫が子守や家事をしてくれて時間を作ってくれていたのです。
気づいたときの私といえば、睡眠不足が蓄積されて目の周りはクマがひどく、肌もカサついていました。
本業以外でもパソコンかスマホをみていたので眼精疲労もひどく、目も毎日シパシパで頭痛や肩こりで頭痛薬や湿布がお供になってました。
こんな自分になっているのにも気づかず、ただただ集中していたので自分のことすらも見えてなかったんです。
これじゃライターとしては難しそう・・・せっかくだしライティングスキルを生かして稼げるのってなんだろう…?と思い、出会ったのがブログでした。
ブログに出会い月5万円以上稼げるように
まず私はブログに関する知識がまったくなかったので、ブログに関する本を読んだり教材を買ったりしてとにかくインプットしては実践をしてました。
当たり前ですが自分のブログなので、納期はもちろんありません。
自分がペースをあげて記事を書いていかないとブログも育ちませんし収益化にも繋がらないことに、恥ずかしながらこの時の私は気づかなかったんです。
“あ〜今日は仕事が大変だったから明日に備えて早く寝よ。。”
そのため、こういった気持ちが湧いてきて自分に甘く、言い訳をしては記事作成することを後回しにしてしまう日もありました。
ですがこのままだとまずい…と思う自分ももちろんいました。
“このままじゃだめだ!記事を書いてブログが育たないと収益化出来ない!”
そう思って結局は夫に家事をお願いしたり自分の睡眠時間を削ったりして記事を書くような時もありました。
“ブログをするとなっても家族との時間を奪ってまで記事を作るとなると大変…どうしよう。”
なかなか前に進むことができず焦っているところ、ふと教材の中にある「外注化」について目に留まったのです。
“そうか!私が最初WEBライターとしてやっていたことを「発注側」としてやればいいのか!!”
”これなら時間を削らなくて記事が投稿できる!!”
私は外注化のメリットを知り、ブログだけでなく外注化についてもっと学びたいと思い、外注化に関して知識投資をして本気で学びました。
そして私はブログを外注化することで家族との時間を奪うことなく、稼げる記事が量産できることに成功して、月に5万円以上稼げるようになりました。
心から愛していた母親の死
こうして運営しているブログが軌道に乗っている中、私は相変わらず仕事のストレスは溜まったままでした。
そんな毎日を過ごしていたある日突然、私の最愛の母が倒れたという連絡が早朝に弟からありました。
「お姉ちゃん、朝からごめん、お母さんが倒れた」
「俺もさっきお父さんから連絡があって、どんな状態かわかってないんやけど・・・」
小さい頃から母の喜ぶ顔を見たくて、褒められたくて勉強や運動、習い事など全て頑張って人生を歩んできた私。
24歳のときに私を生んでくれたので年齢的にも嗜好や考え方が似ていて親友のような存在でした。
そんな母は難病を持ち、がんも患っていたのでいつかは看病してあげたい、もっと自分のやりたいこと、行きたいとこに連れて行ってあげたいという思いがありました。
母と街へ買い物に出かけるのが私はすごく大好きでした。
一緒に共通で好きな画家の美術館へ足を運んだり、洋服を一緒に選んでは試着して意見交換をしたりと『特別な友達』のような関係でした。
「子どもがもう少し大きくなったら三鷹の森ジブリ美術館に行こうね!」と母と私もジブリが好きだったので、そう語っていたところでした。
そんな中でも私の母は遠い実家に済む自分の姉や弟、母親にも心配かけるからと自分の病気のことは伝えず毅然として過ごしていました。
どんなときも自分のことよりも誰かのことを思って動くような自慢の母でした。
ですがそんな思いとは逆に、仕事が忙しくて体調を崩した子どもを預けて出勤したりと甘えていた自分がいたんですね。
今思えば後悔ばかりです・・・
もっとこうしてあげたらよかったんじゃないかと。
そんな苦しい姿は子どもである私には見せず、孫の世話が生きがいだと言いながら私と子どもたちを精一杯愛してくれました。
そんな母が自宅で倒れ、救急車で運ばれたと弟から連絡があったときは目の前が真っ白になりました。
数日前から発熱してぐったり横になっていた母。
体調が悪いのに上の子が帰ってきたら玄関まで足を運んで「おかえり」と迎えてくれたり、公園へ連れて行ってました。
熱が下がったときは美容院までいっていました。
“いやいや無理をしすぎ、休めるときはしっかり休んでほしい”と母にお願いしていたところでした。
“もっと早く救急車を呼べばよかったんじゃないの?”
“買い物もしんどかったら私に言ってねって数時間前連絡したところじゃん。”
それでもスマホでやり取りした母のスマホのメッセージは相変わらずで、最後の会話は「買ってくれたみかんがおいしいわ」「また寝るね」でした。
“私、なんで気付けられなかったんだろう。。”
”大きな病院に行こうよ!って何が何でも強引に連れて行ったら軽くで済んだのかも。。。”
自分自身に自問自答ばかりしては後悔の気持ちばかりが膨らんでいきました。
弟から連絡があったとき、なぜだかわかりませんでしたが頭の中ではとても冷静でした。
表向きはドラマのワンシーンのように「え!?」と驚いては「すぐ用意して病院にいくわ!」と話していたんですよ。
“もしかして、このタイミングでお別れがくるの?”
“早くない?でも病気の進行具合から遠くはないとは思ってたけど。でもやっぱり早すぎでしょ・・・”
私のなかではこう思いながらもきっといつかは来るとどこかで思っていたのだと思います。
ただもっと先だと自分では言い聞かせていたので早すぎて気持ちの整理がつかないところもありました。
運ばれる前の状態を聞いたところ、胃が痛いといって夜中にトイレで吐血していたようです。
トイレに前かがみになって高熱ながらをおおええと血を吐き続けていた母。
想像しただけでもう涙が溢れてきて胸が痛かったです。
その後も熱があって寝れないといってロキソニンをとりにベッドから歩いたところ、ばたんと倒れたようでした。
私達が実家へ向かったときは倒れた状態のままでした。
リビングのテーブルと椅子が端によせられ不自然に広くなった床がありました。
そこで心臓マッサージを受けていたようです。AEDを何度も流しても脈拍が戻らず、そのまま病院へ行ったと父から話してくれました。
“なんで私はこんなことしてるんだろう…”
“お母さんがしんどいときこそ、仕事休んで看病したらよかったんじゃないの?”
“なんで気づかなかったんだろ。”
“時間の使い方、間違ってるやん。また同じことしてる‥・。”
“WEBライターをしていたときに家族との時間が‥と気づいた自分は何やったろか・・””
“将来、今度はお父さんが倒れたら、主人や子どもたちがそうなったら・・・?”
“また私は同じ後悔をするの?”
最愛の母を亡くしたことをきっかけに、私はこれからの生き方を真剣に考える様になったのです。
本業でもストレスがマックスになり適応障害に
「お疲れさまです。母が倒れまして…多分そう長くないと思うのでしばらくお休みをいただけませんでしょうか。」
会社に泣きじゃくりながら上司にそう伝えて、「すみません」とただ謝りながら電話をしたのを覚えています。
母を亡くしてから葬儀など落ち着くまで、有休を使って家族との時間を優先して過ごしていました。
私「もう家にいてもずっと母のことを思い出しては泣いちゃうし仕事行こうかな・・・」
初七日を終えて数日したころに、夫にそう話しました。
夫「家にいると落ち込むだろうし、気分転換になるならいいと思うよ」
夫は基本的に私の意見にいつも寄り添ってくれ、その時その時で優しい言葉をかけてくれました。
そうして普段の生活に戻りつつある中、私の身体に異変が起きてきました。
だんだんと眠りが浅くなってしまい、眠れなくなってしまったのです。
寝付きが悪くなり、ちょっとした物音、子どもの寝言、外から聞こえる音など何にしても目が覚めるようになりました。
“あ〜眠い。頭が働かない。”
常にぼーっとした状態で仕事をしていて、打ち合わせ中でも意識が飛ぶようなことがしばしばありました。
睡眠不足が続くようになってから数日が経ち、今度は悲しくもなんともないのに涙が出てくるようになりました。
“なんでこんな涙が出るほど悲しい想いをしてまで出勤をしないといけないんだろう?”
”なんで私、こんなにも泣いているの?”
”休めばいいのになんで無理してるの?”
気持ちの整理が出来ずもう私の心の中はぐっちゃぐちゃでした。
眠れなくなり、泣きじゃくる私をみた主人が「もういい、、、会社を休んでゆっくり身体を休めよう。」と言ってくれたのです。
夫「こんな状態で仕事にいったところで潰れるだけだよ!無理しなくていいから!」
私「・・・病院に・・・いってきてもいい?」
相談するのもなんでかわからなかったのですが、この時私はすごく相談するのが怖かったのです。
そんなビビってた私に対して夫は快諾してくれ、その日のうちに心療内科へ受診しました。
医師は「そうですか。しんどかったですね。」と泣きながら話す私に対して、ただひたすらに淡々とうなずいて話を聞いてくれました。
なんていうんでしょうか。。夫とはまた違う暖かさと病院に行けたことによるホッとした自分がいたんだと思います。
涙がとまらずタオルもびしょびしょ、鼻水もたらして顔が真っ赤になってたのを覚えてます。最後のほうはまともに話すことはできず、ひたすらに泣いていました。
受診したときは睡眠薬と抗不安薬を処方され、私は睡眠薬で3日間死人のように眠り続けました。
身体が重たく、もう起き上がれることもできないほど寝たきり状態です。
今まで眠れなかった借りを全部解消するような気分でした。
薬の副作用なのか頭がずっとぼーっとしていて、閉じていたまぶたが重たくて目をあけるのもすごく苦痛でした。
“もうこんな状態になってまで今の仕事にすがりたくない・・・。”
“すがっている自分が嫌だし、私をこんな風にした会社を見返したい。”
“私は家族を守りたいし、自分の人生だからやりたいことをやる人生にする!“
最愛の母の死と私の体調不良をきっかけに、私は14年勤めていた会社へ退職願を提出し、離れることとなりました。
月収200万円以上を稼ぐ女性起業家との出会い
私は母を亡くし、身体を壊したことでより自分の時間の使い方を考えるようになりました。
“あ〜仕事を辞めるとは決めたものの、まじでどうしよう。。今までのように働かない限り給料は入ってこない。”
退職をしてしまったので、収入が激減・・・ここが私のなかでネックになっていました。
“私は一人ではなく、夫もいるし子どもたちもいる。”
“子どもなんて大きくなればなるほどお金がかかってくるし、私だって会社という呪縛から解放されて自由にやりたいことをやりたい。。。”
“でもそれをするにはお金が必要だ・・・“
まずは実践していたブログ×外注化に力を入れるのはもちろんだが、それ以外でも稼ぐ方法を見つけなくては…という思いで再びネットで稼ぐ情報を探していました。
するとふと一通のメルマガが届き、そこにはある一人の女性起業家が紹介されていました。
その方はネットビジネスで月収200万円を超えており、『自分の人生を妥協しない』ということをモットーに発信していました。
発信しているブログをみると、会社員や主婦の方にネットビジネスを指導しており、指導いただいた方は収益が大きく伸びたり、人生が変わったりと好転している方々ばかりでした。
またその方は一部の富裕層しか入れないホテルに泊まったり、ふとご家族と北海道旅行に連れて行ったりとすごく人生が充実している印象でした。
“あ〜いいな、私もこういった贅沢なホテルのディナーを楽しんだり、仕事よりも家族を優先して全国一周とかしまなみ海道をサイクリングとかしてみたいな〜”と夢をみていました。
“よしあまりにもすごい人なのでメルマガに登録してみよう!”
そうしてその方のメルマガを登録して興味・関心がふつふつと湧いてきました。
届いたメールの登録特典の動画を拝見し、早速感想と悩みを送ってみました。
動画を見た印象は顔は出しておらず、声だけでしたがハキハキとお話されていて、イキイキ&キラキラとした感じでした。
感想と悩みを送ったあと、お返事をいただけると思っていなかったので、頂いたときはすごく嬉しかったです。
“ええええ!返事が来たよ!こんな私なんかに。”
“め。。。めっちゃくちゃ嬉しいし。そしてめちゃくちゃ丁寧なお返事・・”
中をみてみると「よければ無料でzoomコンサルしましょうか?」と悩み相談までしてくださったのです。
その時は嬉しかったのもありますが、無料で私の悩みを解決してくれるなんて…とワクワクしながらその日を待ちわびていました。
そして当日、主人と一緒に迎えたzoomコンサル。
もうずばばばばばばばばばば〜〜〜!!!!と本質を突かれに突かれてカウンターパンチを喰らいまくりでした。
私が背けていた根底にある私自身の本質的な課題を浮き彫りにしてくれたのです。
私がこれから何をすべきなのか、課題点を浮き彫りにされた時間でした。
正直、すごかったです。無料ではもったいないくらい。
こんな人に出会えるなんて今後一生ないんじゃないかと私は感じたのです。
“このタイミングでzoomコンサルの機会がいただけるのも、私が新しいビジネスに挑戦するチャンスを神様かなくなった母が与えてくれたんじゃないか?”
そう思って私はこの女性との出会いをきっかけに人生が大きく変わって、ネットビジネスの世界でもっと学ぼうと思うようになりました。
私「ねえねえ、私、この女性の方からビジネスを学びたいんだけどいいかな?」
夫にコンサル終了した一言目がこれでした。
夫は即答で「うん、いいと思う。現状を変えるならとことん学んで変わっておいでよ」と。
一緒に無料zoomコンサルを聞いていた主人も同じ印象を受けたようで、背中を押してくれたんです。
“これはまじでチャンスしかない!学ぶしかない!”
私はその女性起業家さんへ「私にビジネスをとことん教えてほしいです!!」とメールで思いの込めたメールをつらつらと書いて送りました。
気づいたらかなり濃く熱いものだったと思います笑
自分より年下だなんて関係ない、プライドなんてありません。
私よりビジネスを知っている、経験豊富な方から学ぶのが間違いないんですよ。
“絶対現状を変えてやる!!今まで私を苦しめた会社を見返してやるんだ!“
そういう思いで私は我が家の貴重な貯金を崩させてもらい、その女性起業家さんに支払って弟子入りし、ビジネスを学びはじめました 。
ビジネスを教えていただき初月27万円を突破!
それから私は彼女の指示どおりに、知識をとことんインプットしてアウトプット(行動)をおこしていきました。
素直に指導された教えを守って行動していった結果、1ヶ月目で27万円の収益がでたのです!
こんな大金を今まで稼いだことのなかった私は”え!?まじで!?私でもこんなに稼ぐことが出来たんだ!“という気持ちでポカーンとしてました。
“こ。。こんな私でも27万円なんて稼げんの?すごいじゃん!私!やればできる!”
その後もとにかく行動していくことで、収益化することができ、今では会社員として頑張って働かなくても余裕のある暮らしができるようになりました。
今回ですごく大きな学びになったのは自分で調べて学ぶことも大事ですが、成功者から学ぶことはいかに重要か、を実感しました。
お金持ちの人とそうでな人の価値観は全く違います。
今まで私の価値観は何だったんだ?とビジネスを学んで強く思いました。
お金持ちとそうでない方とで変わらないものは、唯一『時間』です。
時間をどこにあてるかで半年後、1年後の自分がどのように変わっていくのかが違ってきます。
1ヶ月本気になるだけで私は初月27万円という最高月収を記録しました。
知識が増えて、思考もどんどん鍛えられて見える世界が大きく変わり、勉強していない人との差がつくのを身をもって感じました。
私は彼女から学んだ最大の武器は『収益をつくる力』です。
私は今まで稼ぐ方法は知っていましたが、ずっとビビって行動に移せませんでした。
なぜなら「私はまだまだだ」と言い訳していたんです。
でも「まだまだなら知識をいれて行動することです」と言われて、はっとしたんですよね。
そら自信持てへんわと。
でも今思えば、ブログ、外注化、WEBライターとして過去の実績も知識をしっかりいれて行動できたからこそ収益化ができました。
だからしっかり知識をいれて行動していくことで、私は情報発信をしている方が陥りがちな集客をしなきゃいけない!という呪いにかかることなく、次のステップへ進むことができました。
今ではパソコン一台あれば完全に一人で作業できるので、自宅で完結します。
時間も場所も誰かに左右されるということもなくなりました。
過去の私は会議だったり、納期だったり、会社に振り回されていた私でした。
ビジネスを学んだ私は役に立つコンテンツを作ったり、家族との時間を今まで以上に濃いものにしたりと、人生に本気で向き合うようになりました。
ふとしたときに主人とサイクリングしたり
畑を作って野菜を収穫したり
月収200万円の女性起業家さんと直接お茶させていただいたりと
ビジネスを勉強してから、私の思考や価値観は180度変わりました。
もしあのとき不眠や涙を流す毎日をこらえながら、仕事をしていたら…
そう考えると地獄でしかありません。
その時乗り切れたとしても、5年後、10年後の自分はまた同じところでつまずいて、自分の人生に悩んでいたと思います。
最後に伝えたいこと
私は最後に伝えたいのは
「守るべきものはしっかり大切に、自分と周りの方の満足のいく人生を作り上げること」です。
私の守るべきものは「家族」です。あなたにもきっと守るべきものがあるはずです。
その守るべきものをないがしろにせず、しっかり大切にしてほしいと心から思います。
私はずっと目の前のことに必死で家族との時間を削ったこともありますし、家族よりも仕事を優先してしまったこともあります。
今では家族と一緒に過ごす時間も増え、外出することも増えました。
身体にムチを知らず知らずのうちに打って仕事をしていた世界と、今見ている現実は大きく違います。
過去の私は稼げる方法を知らない、知識がない状態で将来を考えたところで良い方法が見つからなかったのです。
今ではビジネスの原理原則を基礎からしっかりと学んだので、稼ぐ方法がわかります。
稼ぐ方法がわかれば、月収100万円くらいは手に届く範囲まで見えています。
けどやり方がわからないうちは、どうすればいいかというと知識投資をして環境を変えることが最短距離でいけます。
泳げるようになりたいならスイミングスクールへ通えばいいし、英語をマスターしたいなら英語圏の国にワーキングホリデーなどで行って勉強するとあっという間に上達します。
自分が将来どんな人になりたいか、なれる場所に身を置くことで基準値が大きくかわり、得られる情報も変わってきます。
そうすることで人生が大きく逆転します。
自分の人生だからこそ、やりたいことをやる!
でもこの世の中は自分の人生だからと頑張っている人に対して、応援、というよりも引き止めようとしてきます。
「え〜そんな怪しいことして大丈夫?やめたほうがいいよ。」
「失敗したらどうするん?無理だよ。」
とやる前から否定をしてきます。
言うことを聞かずにそのまま突き進んで失敗すると、こういう人たちは「ほら言ったとおりじゃん」とさらに否定をしてきます。
ですが、圧倒的な実力をつけていくと何も言われなくなります。
勉強して知識をつければ必ず実力がついて、結果がついてきます。
自分の人生だからこそ、守りたいものがあるからこそ充実していきます!
誰かに振り回されて歩む人生は絶対嫌です。
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月収200万円の起業家の方や、億を超える成功者からの学びや気付きについても話しています。
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それでは、ここまで長文を読んでくださり、ありがとうございました。
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